Forbes.ruに掲載されていた、ヤーシン元経済大臣のエッセイを訳しましたので掲載します。

このブログのモチベーションが落ちています。更新頻度からも明らか。だって、同時進行しているロシアフィギュアスケートブログとアクセス数が20倍くらい違いますからね。

それは冗談として、ロシア語の勉強としてのニュース翻訳はもういいかな、と思えてきました。ここでなくても日本語の情報はあふれています。VORとか・・・というよりは、RIA NOVOSTIは日本語サイトもありますしね。

来年以降は、今回のような、少し長めのエッセイや論評をまとめて訳して行きたいと考えています。その方が私にとっては勉強になるし、日本語ネット環境での希少性があるんじゃないかと思います。

週1くらいで、ジョギングやダイエットのようにコツコツとやっていければ。多分別ブログに移ると思います。

では、おそらくこのブログでは最後のニュース投稿となります。ロシア経済の閉塞的な状況を、1970-80年代のブラジルに重ねあわせて、強権的な政権を批判する内容です。ちょっと抽象的すぎて退屈なんですけどね。

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悪性の安定:いかにロシアはスタグネーションに至ったか
エヴゲニー・ヤーシン(元経済大臣、高等経済大学教授)

新たな状況に対する恐怖より、政権の自己保身本能の方が強かった
経済発展省が2030年までの経済発展予想を下方修正したことに賛同する。この先10年間の平均成長率は、これまで考えられてきた4%ではなく、2.5%を上回ることはないと考えられる。私の予測はもっと低く、2%だ。ロシアでは、発展を加速するという問題を経済政策だけで解決することはできないことに障害があると見ている。

ロシアには特別な政治体制と、ロシアにとっては珍しくない専制政権を前提とした独特の法体制ができあがっている。政治学者によればこのような体制は「欠陥のある民主主義」と言えるようだ。つまり、政治の安定性の維持と高成長のための条件創設を選択する場合、政権は自身にとって都合のよい安定性を常に選ぶということだ。もちろん、石油価格はもう毎年のように上昇することはなく、また労働可能人口は減少していく。しかし、GDPを3.5%成長にまで引き上げ、7-10年間、このような成長を享受するのは現実的である。


いかなる巨大投資プロジェクトも助けにならない
左派的ポピュリスト政策は1年で十分だ。この道は行き止まりだとインフレの加速のために全員が知ることになる。市場の拡大だけが成長のための余力使用を下支えする。前進を妨げる障壁を取り払うことだ。何よりもまず、社会全体に特徴的な低い信頼感のことだ。「水平的な」信頼、つまり市民間の信頼が、「垂直的な」信頼、つまり議会や警察、教会といった機関への信頼よりもかなり高いことがアンケート調査で示されている。これは経済にとって良くないことである。経済が大量の資金投資を恐れるため、ビジネスの活発さが低減していると見ている。政権側とは具体的な税制優遇やプロセスについて話すことはできるという味方が財界ではできている。こういったことは官僚も理解する。しかし、より一般的なテーマ、例えば「力の省庁」からの圧力などについては、対話はうまくいかないのだ。


どうしてこうなったのかは明らかだ
1990年代からすでに、若く、時折生意気なビジネスマンと、ろしあをずっと統治し、その役割を保持したい官僚との間の衝突を見ることができた。官僚が若い改革者に代表されていた時代には、それほど自信を持っているようには見えなかったが、プーチン大統領時代に入ってからは状況が大きく変化した。官僚が勝利し、ビジネスは信頼を失い、ビジネスに対していつでも強力な迎え撃ちがされうると今や理解している。その状況は深化している。訴追委員会の支援の下、税務分野で「秩序を回復」しようとする試みを見てもわかる。こんなやり方では経済活動を刺激することはできない。

同様の状況は、例えばブラジルなど他の国でもあった。1970-80年代、ブラジルでは次々と軍事政権が発足し、どの政権にもそれに付随した何らかのビジネス・グループがあった。他のプレイヤーは、それを見てブラジル経済への資金投資にあまり積極的になれなかった。高いインフレ率を甘んじて受け、短期投資を好んだ。この仕組みを終わらせたのは、選挙を通じた政権の交代制度が戻ったことだけだった。

問題は、深くなればなるほど政治改革に戻ってくるのが難しくなるということだ。もう、「改革者たち」が始まった改革を最後までやり遂げるだろうという社会からのかなり高い信頼や自信があった2001年では今はもうない。今もし政治・法制度を変えようとすると、コントロールが低下することになる。


このような改革はかなりリスクのある手術、経済成長を大きく鈍化させるだけでなく、不況に陥らせるおそれがあるもの
だから私は急激な動きに反対し、段階的な状況の変化を支持する。それができるのは、社会やビジネス側が政権に圧力をかけることだけだ。それは変化を強制することだけでなく、共感からではない、状況の現実的な評価からの協力の可能性を見せることも必要だ。だが、このような圧力に対する政権側からの建設的な回答ああれば最高のシナリオと考えられるが、それが現実的かどうかにはまったく確信はない。

しかし、変化に対する強力な外的刺激は政権にはない。景況悪化や不況も人々を街に追い立てることはない。1990年代、社会の激震が文字通り大規模だった時代さえ彼らが街に出ることはなかった。安定の年月が我々を待っているのかもしれない。しかしそれは悪性の安定であり、先進国からの遅れを固定する安定だ。

(終)