森博嗣「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」を読みました。


[サマリー]
熟考したつもりでも、私たちは思い込みや常識など具体的な事柄に囚われている。問題に直面した際、本当に必要なのは「抽象的思考」なのにーーー。「疑問を閃きに変えるには」「”知る”という危険」「決めつけない賢さ」「自分自身の育て方」等々、累計1300万部を超える人気作家が「考えるヒント」を大公開。明日をより楽しく、より自由にする「抽象的思考」を養うには? 一生つかえる思考の秘訣が詰まった画期的提言。

具体的に考えるよりも、客観的≒抽象的に考えれば、その考えの応用が効く、というお話。一例として、北方領土問題が取りあげられています。

北方領土問題に対する、非関係者の意見です。ユニークな意見ですが、筋が通っています。筋を通さないで議論するのは怖いですね。本来あるべき姿を考える前に自分の意見や人の意見に流されるのは慎みたいところです。

「お互いの国で、その島が相手の領土だと主張する学者(専門家)を探す。少なくとも、その学者は、自国の利益を棚上げにしているだけでも、普通の人より客観的だろう。マスコミには、こういう人の意見はけっして紹介されない。マスコミもまた客観的ではない証拠である。
 さて、お互いの国から、そういう学者を出しあって、会議をさせるのである。それぞれが、「この島は、貴方の領土です」という議論を戦わせることになる。それを公開して、両方の国のみんなで見ると良いだろう。」p.10

2人でケーキを分けるときの考え方に似ています。非現実的ですが、実現したらかなり面白そうだと思います。オープンカンファレンスだったら参加したい。

  領土問題にしても、「あんな島、向こうにやれば良いではないか」という意見を、僕は何人かから直接聞いた。しかし、そういう意見を、マスコミはけっして伝えない。何故だろう? 日本人だったら、絶対に言ってはいけないことなのだろうか。
 ロシアの学者で、北方領土は日本のものだと主張している人がいる。これを知ったときには、「ああ、ロシアというのは、さすがに先進国だな」と僕は思った。成熟した社会であれば、いろいろ意見が出て、それを公開できるはずだし、冷静に、喧嘩腰にならずに、議論ができるはずなのだ。それができないのは、僕には「遅れている国だな」としか思えない。
(中略)
 もちろん、僕は日本人だから、「あの島が日本のものだったら良いな」とは感じる。でも、そんな希望で話をするわけにはいかない。注意をしてもらいたいのは、「願い」を「意見」にしてはいけない、ということだ。」p.55
願いを意見にしていることが良くあります。私もあります。「国益」とは何でしょうか?「国益だから」、で思考を止めてしまっていることが多々あったと感じています。

マスコミについては、こういう考え方もあるのだなと。正直言ってどっちもどっちとしか思えません。

なんでもみんなで多数決を取る、というのは考えもので、それぞれの専門家が考える方が間違いがない。原発反対の人が多いから原発は廃止すべきだ、という数の理論は成り立たない。それが成り立つなら、税金は安い方が良いということになるし、領土は、人口の多い国のものになるだろう。
 大勢の「感情」を煽って、声を大きくすれば社会は動く、という考え方は、民主的ではなく、ファシズムに近い危険なものだと感じるのである。戦争だって、国民の多くの声で突入するのだ。「国民の声を聞け」というが、その国民の声がいつも正しいとは限らないことを、歴史で学んだはずである。」p.56
「領土は、人口の多い国のものになるだろう」というのはドキリとしますね。何が領土を決めるのか。人口か、武力か、経済力か。

北方領土問題はほんの一例で、「抽象的に思考する」をテーマに、それこそ抽象的な話がずっと続くのですが最後まで一気に読んでしまいました。抽象的な思考ができるようになりたいですが、一朝一夕では身につかないものとバッサリ。しかし、いつしか自分だけの美しい中小思考の庭を創りあげたいものだと考えされられました。